にいがた食の陣

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特集
2017年05月19日
「米王国=米文化=米の陣」座談会 第一部(前編)

食の陣情報誌「街んなかご案内帖」に掲載された、

「米王国=米文化=米の陣」座談会 第一部

あの6ページだけでもかなり読み応えがありますが、掲載していないもっともっと多くのお話があったのです。

その全文、前半をここに掲載いたします、後半もお楽しみに!

 

司会進行:

能登剛史 にいがた食の陣実行委員長 能登剛史

 

樋口十旨張 にいがた食の陣事務局 樋口十旨張

 

参加していただいた生産者の方

樋浦幸彦 永塚崇嗣

樋浦幸彦さん…燕市・ひうら農場代表/永塚崇嗣さん…株式会社果香詩の取締役

 

坂井孝一 熊倉-睦

坂井孝一さん…坂井ファームク リエイト代表/熊倉 睦さん…むつみ農園代表

 

石附健一 髙塚俊郎

石附健一さん…ライスグローワーズ、加茂有機米生産組合員/髙塚俊郎さん…タカツカ農園を営む6代目

 

 

佐藤豊吉

佐藤豊吉さん…中条農産の会長

 

新潟の米作りに未来はあるのか?

25周年を迎えたにいがた食の陣が、今後の大きなテーマとして掲げたのが、新潟農業の象徴と言える米作りだ。
人口減少や主食としての米離れが進む現代において、米作りの最前線にいる生産者たちは何を考え、どんな思いを持つのか? 県内各地でそれぞれ独自のスタイルで米作りに励む7名に、今の思いを聞いた。

 

<樋口>

 これまで食の陣が、ちょうどこの3月で25年が終わりまして、4月1日から26年目の活動になります。実際には、その1年半前から設立に向けての活動をしておりまして、これまでの取材編集をしてきたことが、現在何に結びついているのかや成果の結果として思い起こすとなかなかお役に立ったという実感が湧かないと言う事があります。26年前に、当時の長谷川市長から、東京バブルが発生した時代に、古町中心部が週末になっても大変閑散としているということで、実態を憂えて、民間にアイデアを求めたことがきっかけになっております。それを当時の発足時の企画に付いて、若干の説明をお聞きください。

 

 アイデアとして戦国時代の織田信長を見習い、戦で疲弊した城下町を立て直すのに「楽市・楽座」という施策を講じました。それを模倣しまして、「食市・食座」と名前を変え、当日座・週間座・月間座の3本柱を構成軸にして、生産者、流通、調理・加工、消費者の皆様方を円卓にお招きしてスタートしたのが食の陣の始まりということです。

 先ほどの実感がないというのは、この円卓会議が、3年後には観光振興に特化していくものですから長く続かなかったというのはそこにあります。ですが、食のおもしろ話や食の達人シリーズだけは長く取材・編集した反面、新潟の農業に寄与してきたのかと問えば、どうも希薄であったような思いが残っています。

 

 今回は再チャレンジの基、長期テーマとして米王国の米に未来はあるのか。もっとも、現代と比較して歴史的に言えることは、米はかつて、農民が食べる自前の食ではなくて武士階級への租税の納めであり、貨幣価値がついて回るものであったという事実です。農民が租税として武士に納める時代と比べ、今は主食の形態が米かパンと言われる時代、主食に米とパンの比率がハーフ・アンド・ハーフと思ってよいと思います。主食がどのような推移をたどるのか、生産者も消費者もともに共通の意識や認識は有るのか、その事の理解は可能なのかどうかを探りたいと言うことで、最初に生産者の皆様をお招きしたということです。

 

 今回、座談の進め方については、決して行政が統計数値を出しているものからの解析の議論ではなく、また消費者から見た一方的な視点でもなく、消費者から見た一方的な視点というのは、十二、三年前に新潟県振興局から、当時、4Hクラブの会合があるので1回来てくれないかということで、オブザーバーとして出席しました。その時のご意見として「我々生産者の気持ちを消費者は分かっていない」と言うのがそのときの大多数の意見でした。それで、振興局から、その後どうしたらいいかというテーマを与えられた記憶があるのです。そういう中で、統計数値で日本の農政を批判することでもなく、食糧管理法からウルグアイラウンド、現在のTPP議論の経過に付いては触れませんのでお願いします。

 

 例えば、盛りそば一杯というと、中条の佐藤さんはそばのことはよく分かると思うのですが、盛りそば一杯700円であれば、そばを生産している蕎麦実の買い付けが大体100グラム。ゆで上げて正味180グラム位で大体一人前なのですが、実に30分の1と言われています。蕎麦実は1俵が45キロですから、中国産だと大体4,000円とか5,000円、日本産でも北海道産ですと大体9,000円から1万2,000円。それが蕎麦食になると実に30倍以上になるという事です。これは米にしてもおにぎりにしても一緒なのかなという気がします。そういったようなユニークな、今後、米以外に主食というのはどう変遷を遂げていくのか。それに生産者はどうお考えなのか。それぞれ農生産の比率割合、米とか雑穀とかいろいろ違うと思うのですが、どのようなお考えをお持ちなのかお聞きしながら、食の陣がそれについてどういう方策が取れるのかを探りながの議論にしたいと言う事です。まさしく議論はこの1回だけでなく、年間2回から3回、また共通の農作業の時間が空くときにもご意見をお聞きしながら、今後進めていきたいということです。

 

 最後に、お聞きしたい項目が五点程あるのですが、ペーパーを見ていただいて、このような進行で良いのかどうかを先ずお聞きしたいと思います。自己紹介を3分程に話をまとめていただき、経験値を、現在~過去~未来というようにお話を戴くのが1ラウンド目。2ラウンド目からは米作農業に未来があるのか、ないのか等また今後にどの様な変革が想定されるのかをお聞かせいただきたい。3ラウンド目に自由闊達な意見交換を積み増ししながら進めていければと思います。

 

それでは、先ず以て能登実行委員長からご挨拶をお願いします。

 

<能登>

 皆さん、おはようございます。今日はお忙しい中お集まりいただきまして、ありがとうございます。

 私は一昨年から実行委員長を仰せつかりました。この歴史あるにいがた食の陣ですが、ちょうど今年が25周年ということで、新潟といえばやはりお米だろうと。米王国、米文化をさらに新潟の方々に広く知っていただくことで、また同時に考えていただくことで、もう一度新潟の魅力を知っていただき、食の可能性を実感していただこうということで、今年の25周年がスタートいたしました。今日、皆様にお集まりいただきながら、また、米の可能性や現状、または今後の可能性なども忌憚なくご意見をいただきながら話を進めさせていただければと思いますので、何とぞよろしくお願いいたします。

 

あいさつ写真

 

<樋口>

 それでは、出席者のご紹介した順番から、まずは自己紹介をお願いいたします。

 

<樋浦>

 燕市吉田地区から来ました樋浦と申します。一笑百姓ひうら農場ということで屋号がついていますが、一つ笑う百姓ということでやらせていただいています。

 昨年から代表をやらせてもらうようになって、親父が農業者年金がほしいからおまえやれということで、一言で決まってしまったのです。私自身は2000年から、農業者大学校を卒業して家業を継ぐことになったのですけれども、今、きゅうりとお米の2本柱でやっています。お米が6町歩、きゅうりが3反歩ほど、家族4人でやっております。お米は、今、ホームページでアップしたりとかで、そこそこ動いている次第です。

 

<永塚>

 西蒲区の旧中之口村で、白根に近いところから来ました永塚崇嗣と申します。

 私としては、大学卒業後にほんの数か月サラリーマンをやりまして、家が忙しくなって、農業を一緒にやってくれということで、サラリーマンを辞めて農業を始めて15年目になります。卒業して、現在、新潟県、全農に入っていまして企画担当しているところです。

 家としては米主体で、果物でぶどうを作るのですけれども、今年、法人化しまして、株式会社果香詩(かかし)ということで当て字にして会社にして、父を社長にしています。1戸1法人なのでそれほど変わらないところもあるのですけれども、何とか地域に合わせたものをやっています。

 

<樋口>

 永塚農園は崇嗣さんで何代目になりますか。

<永塚>

 私で13代です。

<樋口>

 樋浦さんは何代目ですか。

<樋浦>

 27代目です。

<樋口>

 次に、江南区の坂井さん。

 

<坂井>

 私で10代目になります。坂井です。江南区曽野木でやっています。小麦、そしてお米を作っています。年は63歳なので、皆さんのお父さん以上になるのかなと思っています。

 たまたま、第1回目のときに樋口さんに食の陣で、おにぎりを作って特別参加して以来ですか、何かあると引っ張られて、今回の冊子もここに達人ということで謳われていますが、過分なお褒めで恐縮しております。

 これからどうなっていくというところ、ご存じのようにどんどんと農地が出てきていて、だれかが維持しなければならないということになっていて、その辺を皆さんと一緒に考えていければと。最後の仕事と思っていますので、よろしくお願いいたします。

 

<熊倉>

 私のところは何代目というのが、お寺が焼けてしまって資料が残っていないもので、残っている資料では私で5代目です。

 今、うちの経営の中では田んぼが15町歩、畑が5町歩。米は100パーセント東京に出荷しています。畑はさつまいもを2町歩ほど、あとはさといも、じゃがいも、そば、百合の切り花をやっております。従業員が、去年から辞めてしまってうちのかみさんと二人でやっています。下請とか受託をいろいろやっておりますし、苗物をホームセンターに納めたりして、年間を通して仕事をしています。そば打ちもやりますし、生産から加工、販売まで、独自でやっております。よろしくお願いいたします。

 

<石附>

 私で28代といわれていますが、実際の、それこそお寺が百何十年前に燃えているので、資料はそのときにきれいに燃えました。私もかなり高齢な口なので。

 会社で米を作っているのが15ヘクタールくらいで、グループでお米を生産して、それを精米販売しているのが日本国内でやっている仕事です。私自身というか、父からなのですが、海外でお米の生産技術の仕事をしていて、私自身は日本に200日くらいはいます。実務は家族と社員で田んぼを作って精米して売っています。米以外のことは何も分かりません。野菜とかそばとかいろいろな話が出ていますが。海外でほかの作物をやりたいときは、ほかの、県内とか県外の人と一緒になってやっています。

 

<樋口>

 石附さんは息子さんの後継が決まっているのですよね。

 

<石附>

 息子はもう35歳です。

 

<高塚>

 皆さん、おはようございます。秋葉区でタカツカ農園という屋号でやらせていただいています、高塚俊郎と申します。私で6代目です。わりと農家としては新しいのですけれども、新津駅前に高塚医院という医者があって、そこから農地を分けて分家して出ているということになっております。

 お米は共同作業、機械作業の機械を全部共同所有していまして、8軒でやっています。個人でやっているのは、純粋な作付けが15ヘクタールほどで、8人で、大体秋になると稲刈りが、90町歩を少し切るくらいの稲刈りをしています。個人ではお米と果樹、イチジクと柿を作っています。妻が加工をしてジャムやなにやらということで、家族で完全に分業していろいろなことをやっていますが、一年中働くのは止めようという事と、家族での所得は得ないといけないのですけれども、あまり稼ぎすぎると時間が無くなるので、最低どの位稼げば一番幸せかという事を常日頃より話し合って、セーブしていると自分では認識してますが、サボっているのかもしれません。

 

<佐藤>

 佐藤です。いつもお世話になりまして、ありがとうございます。

 私のところでは、20年くらい前は米を中心で100パーセント米だけだったのですけれども、米の自由化の問題もあったりして、やはり米だけではという事で、平成6年に農業法人の会社を立ち上げて、米の生産から販売の方にも手を掛けようとしたのですが、農協や地域からかなりバッシングを受けました。餅とかそばとかいろいろな加工品、野菜を作ったのですけれども、なかなか儲からなくて野菜ははっきり言って断念しました。それで加工の方に力を入れ、餅の生産販売。当然、こだわりの餅米を使っているので、今、加工品の売り上げで売り上げの4割~6割くらいが米ですか、あとの4割位がその他の、先ほど言ったものを含めながら加工品。今まで100パーセント米の売り上げで成り立っていたところが今は6割くらいにまで落ちてしまって、複合経営というのですか、そんな経営内容でやっています。

 私も65歳を過ぎたので引退して会長職になりましたが、現在息子が社長職を引き継いで、生産現場とか営業面もあるので、大半の営業は私がやっています。昨日もイオンのほうに行ったら坂井さんの小松菜がたくさん並んでいるので、刺激を受けまして新潟のプラーカの方にも本日営業してきました。

 やはり、今は農家という考え方を捨てていかないと、いつまでも昔的な農家、農協オンリーでやっていると、本当に経営者としての感覚が。地域の人は農協ばかりなのだけれども、農協も、はっきり言ってみんな友達なのだけれども、何かやっぱり特別な事をやると色眼鏡で見られるような処が未だあるので、それを何とかみんなで開拓していって、やはり売るところまでやっていかないとダメですし、経営者としても営業の方にも半分くらい顔を出させていただいて、あちこち回らせて貰っています。

 今日、何かの縁で皆さん方とお会いできて、本当にいろいろな情報を、逆に私がご一緒させて頂ければと言う事で、参加させてもらいました。

 

<樋口>

 ありがとうございます。

 佐藤さんのところが法人化されたのはいつぐらいですか。

<佐藤>

 平成6年の3月ですから、22年です。

<樋口>

 分かりました。

 今、7名の自己紹介が終わったので、第2ラウンドでは今、佐藤さんがお話しされたようなかつての農業スタイルの変遷を見てみますと、いわゆる家単位で農業、特に米作農業を中心に取組んでこられたという経緯があると思うのですが、家と土地と地域との絡み、それから利権、これが今の日本の実情だろうとは思うのですが、それぞれの方がそういう過去を振り返りながら今があり、今を思うときには未来は、将来をどうしようということ、どうしていこうかということが出てくるかと思います。その辺を、また順に、時間をあまり気になさらずにご意見をいたければと思います。

 最初に樋浦さんからお願いします。

 

<樋浦>

 先ほど話したように、うちも平成5年の大不作のときから米の販売を始めまして、ほぼ消費者の方にということをその頃からやってきたのですけれども、帰ってきてからインターネット事業に手を出しまして、2000年に入った頃にはお年寄りが増えていって消費が段々と減っていく傾向にあったので、増やさなければということで、すぐにホームページを起ち上げて直販を始めたのです。今の処そうやって来たのですけれども、震災後、やはり急激に地元を大切にしようという話が進んできて、時代の流れが変わってしまって、今は地元にきちんとお米を食べて貰おうということで、動き始めています。私一人でやっても面白くないということで、「燕三条 KOUBAの祭典」と言う事で、モノづくりの現場を四日間開放しまして工場の中を。昨年からは農場も見学出来る様になってきました。今はそういう工場の方と付き合いができたので、一緒に活動といいますか、モノづくりという括りの中で、今、地元一丸になって燕三条を盛り上げています。

 たまたま燕三条は洋食器とか包丁とか刃物の工場が多かったので、とても連携しやすくて、とても面白いです。燕市長も三条市長もそういったモノにとても力を入れていて、観光が主体だろうみたいなことを言っていまして、どんどんインバウンドにもお客さんを呼び込もうという事で、一生懸命力を入れております。

 

<樋口>

 先ほどの三条・燕のオープンファクトリーというのは東京下町と似たような形態で公開型、産業観光の一つになっています。今、樋浦さんのところがいわゆるオープンファーマーになっていきたいと。それは高塚さんもやっていますよね。坂井さんのところはどうですか。

<坂井>

 体験型です。

<樋口>

 公開で体験型。

 ほかには、石附さんはやっていますか。

<石附>

 田植え、稲刈り。小学校が近いので。中央は田んぼがないと。交流的なことをやっています。

 

<永塚>

 うちも簡単なというか、小さいですけれども、観光関連でやっています。体験の受け入れをやっているのですけれども、今、西蒲区やいろいろな団体から話が来ていまして、いつもだと岩室のほうでやっている「やさいのへや」というのがあるのですけれども、野菜ソムリエの方とか地域のお母さん達でランチを提供しようという試みが、4年になりますか。持ち回りでやっているのですけれども、月1回消費者交流をやっています。あとは園児の収穫体験、キウイフルーツも栽培していますし、その体験がてら昼食も提供してくれという事で、家の方も加工関係では仕出し屋の許可を取っているのでお出しできます。その絡みでは、他にも昨年ありました。

 

<樋口>

 昼食を提供してますと、田舎の農生産者が家で食べている食事を都会の人達はどういう思いで見られているのでしょうか?

<永塚>

 新鮮というか、地の物を食べられるという感覚ではあるのですけれども、一つの部屋というか、大広間なのですけれども、そこで参加者になる、食べられるというのはまた旅館と違って良いという話があって、また違う体験ができる材料の一つになるのかなと思います。

<樋口>

 永塚さんのところは、お味噌はまだ自家製で作っているのでしょう。

<永塚>

 はい。作っています。

<樋口>

 その味噌の中に発酵乳酸菌が、和製の乳酸菌があるというのは、今の若い人はなかなか知らないですよね。牛乳とか動物製品からの乳酸菌しか取れないと勘違いしている。そこにも日本的な食事の中心がある。次に、坂井さんお願いします。

 

<坂井>

 経歴というと可笑しいけれども、私、今、63歳で、農業を始めたのが高校を卒業してからで45年になりますが、ちょうどあのころの新潟はお米だけ作っていれば何もしなくてもご飯が食べられてと云う事だったのです。その内、一つの目安が3町作ればお百姓で、娘を桐の箪笥をつけて嫁に出して、弟を分家に出して、本人はまた家を建て直すという時代があったのですが、不幸な事に私のところは2反までなかったので、また身内の不幸があってどんどん借金をしていって、本当に農家以外の事は考えなかったというか、賢い人間はみんな逃げていったのです。ダメだねと言いながら、同級生も学校に入り直したり他産業にアルバイトに行った時代だったのですが、私の場合はしがみ付いてしまって。

 米だけでは食えないから、たまたま私のところは信濃川の河川敷地域だったので昔から果樹や野菜を作っていて、私は路地野菜をやっていて、なかなかそれでも食えないのでハウスを造ったら、栽培がへたで失敗してしまって、きゅうりやトマトのような技術がいるようなものができなかったのですが、春先に菜っ葉(小松菜)を蒔いたら当たって、それがどんどん評価をいただいて、専門の会社になっていったと言う事です。

 会社になってスーパーと取り引きをして、それからどんどん、自分だけ契約して、自分で値段を決められるのが申し訳ないから、みんなもきちんと自分の売る物に自信と誇りを持とうよということで、自分の会社の店先に直売所を造ってという事で流れたのです。逆に、多分、1本だった場合、当時はとても沢山やって良かったのだけれども、どんどんと、米だけ作っていれば良い筈なのにといいながら、今、本当に3町作っているのが一番悪いみたいな時代になってしまって。この先はまた次の話になるのでしょうけれども、新潟だったらこのくらい作っていれば何もしなくてもいい時代から何かをしなければいけないという事で、先程も言ったのですけれども、今、自分が一番考えているのが、地域の農地をどうやって維持していくのか。米要らないと言われている中で、どうやって。例えば、雇用という話ではなくて、地域。うちのところは結構若い連中が沢山いるので、1戸が米をどんと任されるというよりも、それぞれ稲と野菜なり直売所に、栽培でけっこう、そんなバリエーションで生活しているのが多いので、なかなか米が、たくさん売れるという形ではないので、その辺の農地の維持、地域全体の活性化。どういう風にやっていったら良いのかな、というのが今の私の宿題です。邪魔だと言われるかもしれないけれども、その辺までもう少し考えてみたいというのが今現在の立場です。

 

<樋口>

 坂井さんの後継はどなたが。

<坂井>

 私は今のところ娘が一人しかいないのですが、うちで指導しています。産休が終わって、今、はい。

<樋口>

 ということは、11代目は一人娘。

<坂井>

 はい。12代目も生まれていますけれども、まだ。・・・

<樋口>

 それはまた未定ですからね。ありがとうございました。では、熊倉さん。

 

<熊倉>

 私が百姓になったのが37歳の頃。それまで百姓が大嫌いで逃げ歩いています。ほとんど家には帰らないで、仲間の家とかその辺に遊び歩いて、会社勤めをずっとやっていましたので、37歳になって親父がよろっと年になったなと思った時に、何れは自分でやらなきゃいけないのかなと、人には任せたくないよなあ~と。でも米は大嫌いだよなあ~と。では何が有るといった時に、百合の切り花がちょうど、市、県から話があって、そのときに1本3,000円したのです。東京都大田区に行くと1本3万円の時代で、これなら飯が食えるなあ~と。1本3,000円で10本作れば3万円。100本作ればいくら、1万本作ればいくらと計算できた時代なので、これなら百姓になれるなあ~と。親父は田んぼだけだったけれども俺はゆりの切り花だなあ~と。

百合の切り花が始まって五、六年やってから、このままだと多分ゆりも終わりだよなというときから、少しずつ畑作のサツマイモ、里芋を作り始めて、ゆりを買ってくれるお客さんの所にサツマイモとか里芋を少しずつ上げるようになってから口コミで広がってきて、そのお客さんが私の今の基盤です。だからインターネットとか宣伝とかは一切しないで口コミのお客さんばかりで、ずっと固定でいてくれます。沖縄から北海道までお客さんがいます。自分の生産したものは殆んど農協を通さない自家販売だけです。それも今の農業として非常に米も大変になってくる、作物も大変になってくる、よその地区もみんな大変だと思っています。

 

 いろいろな畑作、サツマイモ、いもジェンヌとか、十日町でもいろいろ、芋とかサツマイモとか作っていますが、それだけではだめだよなということで、今、循環型農業。旧下田村が山奥なので、猿とか猪とか、鹿も出るようになって来たので、農地が荒れ放題です。猿が稲とか畑作をみんな食べてしまう様なところで、これじゃあだめだよなあ~と。みんな手放して荒れているので、これを何とかしたいということで、知り合いの方から豚を何とか育ててくれないかと言うので、その前からも少し知り合いだったのですけれども、では私のこだわっているサツマイモを食べさせて、やりましょうと。荒れている所に放牧したらどんなものかということで、1か月もしないのにみんな掘り返してくれて、非常にいい畑の、管理、豚だと!。その後の畑に里芋を作って非常に良かったので、今年はそこにいろいろなものをまた作付けしていきたいと思っています。

 

 農地もいろいろ空いてきていて、本当に山のところはみんな荒れてきているので、それを何とか解消したいと云う事で、循環型農業で豚の放牧から、本格的に。今年が最終年度なので、うまい豚を作ってそれを持ってきて売りたいと。それを聞いた近隣の農家が、おれもちょっとやってみたいなという人達が少しずつ出てきましたので、それがまた楽しみです。

 旧下田村の芋を使った芋焼酎が今年の5月位(2017年)から販売になります。この前、新酒会をやって非常に好評で、常温でロックが飲めるのが最高で、お湯割りをするといも臭くて飲めない様なものです。ロックと常温でストレートに飲むのが最高な芋焼酎が出来たので、それも5月頃からいろいろなところで耳にするかと思いますので、それはまた面白いかなと思っております。

 

<樋口>

 先ほど、皆様には初耳だと思うですが、豚の放牧。新潟県内にはなかなかないのです。初めて燕の「うんめ~え豚」という、加藤さんのところが初めて昨年チャレンジして、熊倉さんの中山間地域で育成しました。豚はものすご~い泥遊びが好きなのです。肉質としては、昨年の暮れに試食会がありまして、大変美味しいです。そこを新しい循環型のスタイルとして、連携でつながる。あくまでも加藤さんが目指しているのは日本で最高の豚といわれているTOKYO―X。国際的にはイタリアのイベリコ豚を超えるものを作っていきたいということを目指しているそうです。では、石附さん、お願いします。

 

<石附>

 私の家は父の時代は稲と畜産をやって、豚舎をしながら稲を作って、当時の話では非常にお金になったのだろうと思いますが、今はお金になっていないという時代かな、私は昭和33年生まれなので級友のみんなが農林高校に行かなくなる時代、私の少し先輩までは全員農家に就がなくなる。実際に地域では、当時10年前後の間に私一人という、だれも周りで百姓をやる友達は田植え、稲刈りが終わるとみんな居ないと云う。

 私は高校を出て北海道の農業系の大学に入って3ヶ月位で辞めてしまいまして、父がアメリカに行って来いと言うので、アメリカに行き帰って来いと云うまで帰ってこなかった事。実際は帰ろうとも思いませんでした。田植えが大変だというので、田植えくらい手伝いに帰ろうかなと思って帰ってきたら、それからずっとベースが日本に変わったので、4年くらいアメリカに行ってまして18から22までアメリカに住んでいました。

 

 加茂市の土地柄なのか、山手とか河川敷辺りはいろいろな作物が獲れる中で、半農家と言いますか、気の利いた農家さんはいっぱい居るのだけれども、我々のエリアは市役所の所しかない。沼地のところで、いろいろなものを作ってはみたけれども、上手くお金にならなくてそれで畑作をやろうと結局は稲だけになりました。今、稲作を段々やる人がいなくてどこでも同じなのだろうけれども、農家の人は高齢化で辞めていくのをどう受け止めるのか地域の集落の内、何人が犠牲になるのか表現はおかしいですけれども、稲作をやるというところに向かってるのでしょうけれども、その中でお米が国内で非常に多く余るという時代に私は何が出来るかと言ったら、輸出が出来るので海外にお米を。また国内はネットとかで売れば良いと。地元はなかなか、地元の方が売っているのは地元の農家が売っていたり、他が売っているので、そこの圏域というか、障壁を作ってもおかしいなという事でした。

 

 もともとは畜産をやるのに1977年に農業法人を作って、県より1号とか2号の農業法人を作って、36年やって、それを私が潰しました。農業法人の破産というのは珠にはあるそうですが、きれいに潰しまして、その後、また再度新しい法人を作り直して農地をもう一回開墾して、今、新しい法人にして4年目になります。なので、地域の稲作を何とか、要は専業の方もいれば兼業の方もいる中で、作るものをどうしようかというところで、先ほどの言葉では循環型が、我々が言う有機的循環とは違うのでしょうが、循環はしていないのかなと。サスティナブルというのか、環境保全型農業を目指して、30年くらいやっているというところです。ただ、先程あったように30年前のお客さんはその後にお客さんを継いで、バトンタッチしてくれた方もいれば、当時60の人はもうみんな介護施設に入ったり、施設でお土産代わりに誰に送ってくださいみたいなお客さんになって、お亡くなりになったりというような間柄で、時代が進んでいるところをこれから。多分、5年間くらいで新潟県とか日本の稲作農業が変わる辺りを、稲ばかりではないところをどう作っていくのか。ただ、それも国内では生産者、ほかの品目の生産者が頑張っている競合分野で、その辺がどうも未だ心が定まらないところでございます。

 

<樋口>

 生産している全量の割合からすると、輸出は何割くらいですか。

<石附>

 2割くらいです。

<樋口>

 今はそういう傾向なのですか。

<石附> 増やそうと思えばいくらでも増えるでしょう。50億人くらいがお客さんですから。米を全然食べない人はいらっしゃるけれども、その人たちにお米を食えとリアクションするのかしないのかでしょうけれども。

<樋口>

 ありがとうございます。

 

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続きはまた日を改めて掲載いたします。お楽しみに。。。

 

 

 

 
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