にいがた食の陣

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特集
2015年10月27日
『世界料理学会』を開催するまで

レストラン バスク オーナーシェフ

深谷宏治さん

スペインの師匠は言いました。 「美味しい料理で大勢客を呼ぶ。 美味しい料理で街を変える。 そのために勉強してるんだ」と。

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 元々新潟市は江戸時代に醤油・味噌・酒等の醗酵品を新潟湊より 北前船にて北海道は江差との海産物製品と交易してきた経緯がありました。

 開港5都市の関係で、5年に一度函館市を訪れてはいろんな角度からの街づくりや ビジョンを語り合う場として、また2016年度秋に開通する函館新幹線を記念しての 「函館グルメサーカス」にも毎年新潟市の代表として食の陣が参加しております。

 2013年9月函館市に於きまして開港5都市会議と同時開催で 第4回「世界料理学会inHAKODATE」開催の折り、 日本で最初に始めた料理人による料理の街づくりともいうべき「函館バル街」の オープニングで深谷シェフと鶴岡の奥田シェフのおふたりが生ハムを調理する様に、 改めて料理人の神髄を見せつけられた。その生ハムは、 日本で第一人者と言われる一切の添加物なしの天然製法の生ハムである。

 その世界料理学会には度胆を抜かれた…東西食の流儀を超越した 料理人の学会発表が行なわれ、まさに進化する料理技術に科学をとり入れた発表に愕然とする。 そんな世界をこの地、函館市に旋風を巻き込んだ料理人深谷シェフにたどり着いた。

 

インタビュアー: 食の陣実行委員会 広報部会:樋口十旨張

 

 

料理人になろうと決めたのは、2 5歳の時。

 父親は明治生まれの人でしたが、家族で外食する としたら和食ではなく中華料理か洋食で、特にフラ ンス料理には、よく行っていました。また、幼なじ みに洋食屋の次男坊がいて、その店にも行きまし た。母親も料理が好きで、何でも作ってくれまし た。そのおかげで、小さい頃から食べるのは好きで したね。1970年に、東京理科大学の機械工学科 を卒業したんですが、その頃の日本は高度経済成長 のど真ん中、学生ひとりに対して7 0社位から求人が あるような時代で。そんな時代に流されるまま就職 したくないと思い、大学に助手として残りました。 けれど、自分の目指す道が見つからず、結局辞めて しまって。その後、セールスマンとかもやりました が、親も心配して「そろそろ一生の仕事を見つけろ」 と。母親と話した結果、元々食べるのは好きだった し「じゃぁ料理人になろうか」って思い立ったのが 25歳 の 時 で す 。

 

日本にも、同じく内臓を使う料理で『イカの塩辛』 があるよ、がきっかけ。
 東京で2年修行した後、何のツテもなくフランス へ行きました。レストランの裏口を叩いて、最低限 覚えたフランス語で「自分は日本から来た料理人で、 フランス料理を勉強したいので、ぜひここに入れて くれ。寝るところと食べるものさえあればお金はい らない。何時間でも働くから」とお願いするんです。

それを1 0軒位行ったかな…。当然ダメで。作戦を変 え、安いレストランに行って、食べて、誉めて、調 理場まで案内してもらって…。ここまでは上手くい くけど、「実は…」と切り出すと「いやダメだ」と。そ れも1 5、1 6軒やったかなぁ。で、結局「お前、労働許可証は持ってるか」ってなるんですよ。そこで 「ない」っていうと、終わりなんです。イタリアにも 行ったけど、結果的にダメで。大変でしたね。野宿 もしたし、宿なんて呼べないところにも泊まった し。

それで巡り巡ってスペインのサンセバスチャンって町に辿り着きました。小さな民宿のようなホ テルに泊まって、バーカウンターでそこの経営者み たいな人に自分の立場を話して、いつも通「ここ で働かせてくれないか」って言ったけども「ダメだ」 と。その時に彼女が、この町には『小イカの墨煮』というスペシャリテがあるんだって教えてくれたんで す。

「私の故郷の函館にも内臓を使う『イカの塩辛』 があるよ」って言ったら、彼女は食べたいって言うし、僕もお酒飲んでいていい気分だったので 「じゃぁ明日作ってやるよ」って約束しちゃって (笑)。朝起きて「失敗したな〜」と思ったけど、約 束だから、朝市場でイカを買い、彼女の店へ行った んです。「どうしたの?」と言うので「昨日約束した イカの塩辛を作りに来た」と話すと、彼女はすごく 喜んでくれて。「初対面の、しかも酒の席での約束 を守ってくれるなんて」と感激してくれて「私のと ころで働くよりも、この街にスペインで3本の指に 入るルイス・イリサールっていう料理人がいるから、 彼のところに行きなさい」と、彼女が私の保証人に なってくれたんですよ。それがルイスとの出会い で、そこからスペインでの修行が始まったんです。

 

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クシに刺さったおつまみ=ピンチョスをつまみながら、お酒を一杯。そして、 また次の店へ。現在全国に広まっている『バル街』の発祥は函館だった。 その立役者こそ、深谷さんだ。

 

 

 

 


ルイスから学んだのは「料理」と「料理人としての生 き方」です。

ルイスから学んだのは、当たり前ですけど、ひと つは「料理」です。ルイスのレストランは、まさに探し求めていたレストランで、今でもスペインに行く と「お前すごい店で働いてたな」って言われほど。 調理場では1 5人位働いていました。隅に麻の米袋み たいなのがあって、たまにそれがモソモソ動くんで す(笑)。開けると、カモとかニワトリとかウサギが 入っていて。メニューによっては生きているものか ら調理します。シカやイノシシなども一頭まるごと 処理しました。しかも、残す部位などなく、全部料 理に使い尽くすんです。もうひとつ勉強したのは 「料理人としての生き方」です。料理を作るだけじゃ なくて、料理人が社会に対してできることを学びま した。ある日の休憩時間にルイスに連れられて出掛 けたんですが、着いた先には何人も料理人がいて

「何をしているんだ」って聞いたら「料理の勉強会を している。今日は〝キノコ〞だよ」って。こんな風 に、今日はアンチョビだ、昨日はイワシだ、この前 はアジだったとか話していて、お互い「俺のところ ではアジをこんな風に調理しているよ」とか「ここ のアジよりあっちのアジの方が美味しい」とか、い ろんなことを話しているんですよ。日本では、料理 を教え合うなんてことがなかったので、驚きましたね。その時ルイスが言ったんです。「マドリードで レストランを出せば成功するのは分かってるけど、 逆に、旨い料理を作ってマドリードの人をサンセバ スチャンに呼べば、この地で金を使ってくれる。サ ンセバスチャンの近郊には世界最高の食材がいっぱ いあるから、俺たちが料理のレベルを上げ、この食 材を使って世界一美味しい料理を作る。美味しい料 理で大勢客を呼ぶ。美味しい料理で街を変える。そ のために勉強してるんだ」と。

 

独立して3年が経って、「これならいける」と思えた ので、 31 年前にこの店を建てました。

 ルイスの店に3年近く居て、最後にはシェフを任 されていました。帰るって言った時、ルイスから 「きっと日本じゃやっていけない。ポジションを空 けておくからいつでも帰ってこい(笑)」と。そして 「お前はちゃんと修行したんだから、日本では本当 のスペイン料理をやってくれよ」と。日本に戻って、 レストランで働きながら独立準備をしていました。 独立を決めた頃、偶然かみさんと出会い「店を持ち たい」と話すと「そういうレストランなら私も一緒にやってもいいよ」と言ってくれたので、すぐに物 件を探して。5坪半に 16 席と小さいけれど、ちゃん とクロスも引いた店を1981年に始めました。そ の店をやった3年間で「これならいける」と手応え を感じ、 31 年前にこの店を建てたんです。住宅地で すし、初めて食べるスペイン料理だし、そんなに安 くないし。だから、あえて自分の考えていた料理感 を全部ぶちまけた料理を作りました。生ハムやソー セージ、パンなど、スペインで食べていたモノがな いので、最初は全部自分で作りましたよ。日本人の 口に合わせるわけではなく、スペインでやっていた ことをそのまま。ただ、盛り付けにしても、調理の 作業にしても、現地時代よりずっと丁寧にはしてい ましたけどね(笑)。そしたら「あそこのシェフはス ペインで3年修行していて、ちゃんとしたものを出 してるらしいよ」って、次第にお客さんも増えてい きました。

 

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『本日のピンチョスの盛り合わせ』。スペインの前菜的お料理。

 

 

 

 


今でも、2年に1度はスペインに行っています。

 移転する前、かみさんと1カ月半ほどスペインに 行き、以前働いていた店で僕は1カ月ほどキッチン、彼女はホールで2週間ほど働かせてもらったん です。彼女に「スペインはこういう処だ」って、い い加減さとかも知ってもらったうえで店を造りた かったんです。この店をオープンしてからも、長い ときで 40 日位、バカンスと称して店を休んでいま す。そして、2年に1度はスペインに戻ってルイス に会って、この2年でスペインやサンセバスチャン がどのように変わったとか、新しい料理や料理に対 する考えなどを聞いてくるんです。

 

まず始めたのが、函館の料理人たちの勉強会でした。

 店も軌道に乗って来た1998年、函館のために 何かしたいと始めたのが『クラブ・ガストロノミー・ バリアドス』という、函館の料理人たちの勉強会で す。例えば、製塩業の人に来てもらって塩の勉強と か、水道局の人に来てもらって函館の水はどうなっ ているんだとか。メンバーも、和洋中ジャンルフ リーに声を掛けました。最初は 15 人位かな、多い時 は 20 人位集まります。1カ月に1回ですけど今も続 いています。また、それとは別に『函館スペイン倶楽 部』というものを作りました。簡単に言うと、スペインの文化を楽しむ会ですね。最初はフラメンコとか スペイン音楽をやっている人にも声をかけたりしま したね。現在会員は 90 名ほどで活動しています。

 

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『本日のピンチョスの盛り合わせ』。スペインの前菜的お料理。

 

 

 


日本のスペイン料理の認識を変えるために『日本ス ペイン料理フォーラム』を開催。

 その後も、いろいろとやりました。2000年に 自分の本『スペイン料理「料理 料理場 料理人」』を出 版。ちょうどその頃から、スペイン料理は世界では トップクラスの料理なのに、日本での認知が低過ぎ る。日本でスペイン料理をやっている人を集めて ちゃんとしなくてはと思い、2004年2月に『日 本スペイン料理フォーラム』を開催したんです。開 催するにあたり、料理記者の岸朝子さん、評論家の 山本益博さんに、日本のトップクラスの料理人にも 参加してもらいたいと相談したら、中華なら赤坂離 宮の譚彦彬さん、フランス料理なら東京ドームホテ ル総料理長の鎌田昭男さん、イタリア料理なら山田 博巳さんがいいと紹介してくれて。3人とも快く引 き受けてくださいました。スペインからも料理人を 呼び、いろいろな角度からスペイン料理について話し合い、講習会をし、ワインの試飲会やコンサー ト、パーティなど、2日間にわたり行ないました。

 

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店内には、函館の黒豚で仕込み、充分に熟成された生ハム が塊のまま何本も吊るされている。オーダーが入るたび、一 皿一皿丁寧に目の前で切り取ってサーブしてくれる。

 

 

日本初の『バル街』開催。現在、全国で行なわれて いる『バル街』の発祥は函館だった。

 その中の企画のひとつで、スペインの食文化では 欠かせない「バル文化」を知ってもらいたいと行 なったのが『バル街』です。ピンチョスを食べて、 一杯飲んで次の店へ行くっていう。日本のはしご酒 とは少し違いますけど。どうしたらスペインのバル を再現できるかを考えて、一晩だけやったんです。 カウンターのある店を 24 軒探し出し、みんながピン チョス食べて、飲んで、また次の店に行く。街を飲 み歩く。それが大盛況で、その年の秋に2回目を やったんです。そしたら、知らないうちに年2回が 定着して。今では日本全国で200か所も300か 所もやるようになった。名前は違っているけど、や り方はほとんど同じですね。広まった時に、協議会 かなにか立ち上げて登録制にしろって意見もあった けど、僕たちとしては上から「こうやれ」って押さ えつけられるよりは、地方ごとに自由に楽しめればいい。あくまで『バル街』って商標登録だけして、 方法などは自由に使えるようにしてあります。今で も、いろいろな方が学びに来ます。その時に言って いるのは、何でも教えるから、どこかに「このバル 街っていうのは函館で始まったものだ」って入れて ほしいとお願いしているんです(笑)。

 

そしていよいよ『世界料理学会』です。

 そんなことをしつつも相変わらずスペインにも 行ったりして。そしたらルイスたちが「俺たち料理 学会っていうものをやっているんだよ」って言うか ら観てみたら、これまた凄いことをやってるんです よ。自分でもやってみたいけど、難しそうで。実際 に札幌でそんな動きがあって、プレまで行ったんで すけど直前にぽしゃったのを知って、なら俺がやろ うかってなって。で、クラブ・ガストロノミー・バ リアドスの連中に、手伝ってくれって声をかけて動 き出したんです。第1回目は2009年。『世界料 理学会 in HAKODATE』の始まりです。国内 はもちろん、世界の第一線で活躍する料理人が函館 に集まり、ジャンルを超えて料理や料理についての 考考え方を学会の形式で発表するもので、互いの技術 向上のためにいろいろな議論が交わされます。

 

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大人の男の遊び心満載のクラブです。

2 0 1 5 年4 月に、スペインのバスク地方で 100年以上の歴史を持つ男性限定の会員制の美食 クラブ『ソシエダ』の函館版『はこだてソシエダ』を 発足させました。以前「古い建物と太陽と美味しい 料理があるから、みんなスペインに来る。だから行 政は建物を維持し、オレたちは美味しい料理を作る んだ」ってルイスに言われたことがあります。古い 建物は財産ですし、それを維持するのを行政だけに 任せてはおけない。会場となるのは、1902年に 建設された土蔵造りの建物で、入会金や会費はその 修繕費に当てます。会場に食材を持ち込み、自ら調 理して振る舞う。料理が出来ない人は、テーブル セッティングや皿洗いをする。女性の同伴はOKで すが、あくまでもゲスト。働いちゃ行けないんで す。会員は目標の2 5人になりました。大人の男の遊 び心満載のクラブです。やっぱり面白いことが好きなんですよ。

 

 

深谷宏治プロフィール

ふかやこうじーー1947年函館市生ま れ。東京理科大学卒業後、料理の世界へ。

1975年に渡欧し、スペインのサンセバス チャンという料理で有名な街でルイス・イリ サールから本物のスペイン料理を教わる。

帰国後、函館『レストラン バスク』をオープ ンさせる。 2004年に、日本スペイン料理フォーラ ム』を開催。この時の催し『バル街』が評判 を呼び、今や全国で行なわれるまでに。ま た、2 0 0 9 年からは『世界料理学会 in HAKODATE 』を開催。世界の料理界から注目を浴びる。

 

 

 

 
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